皆さんは自分という存在が重いと思いますか?軽いと思いますか?
存在の耐えられない軽さ、これはミランクンデラの小説の題名です。
この本の冒頭ではニーチェ哲学の「永劫回帰」を下敷きにして理論を展開していきます。
永劫回帰とは「この人生が全く同じ順序で無限に繰り返されるとして、それを喜んで受け入れられるか?」という思考実験の様なものです。
「1回きりの人生」ではなく、無限に繰り返されるこの人生を肯定できるかどうか。
神は死んだと言ったニーチェが、外なる大いなる存在と接続できなくても、自身の全てを肯定できるか、いや、していかねばならない。超人にならねばならないといったものがニーチェの主張です。
対して「存在の耐えられない軽さ」では、私たちの人生はただの一度しか起こらない。ニーチェの永劫回帰のように無限に繰り返されるなら、人生の重さ、今この瞬間の重さが生まれるが、実際の私たちの生は一度しか起こらない。
一度しかない人生、繰り返されない人生。ゆえにどんな行動も、この瞬間も、人生も、意味がない。
「たった一度しか生じないものは、あたかも存在しなかったかのように無意味だ」
これがクンデラの主張です。
メメントモリ、「死を想え」「死を忘るるなかれ」といった言葉があります。「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という警句です。知っているはずなのに、いつもどこか見えない場所に隠していた「死」。それが掘り起こされた時、私たちは「生かされていた生」を再認識するのです。
人は死ぬために生まれて、死に向かって常に進み続けています。もし、クンデラの主張のように、その「死」すら無意味なものだとしたら?
自分なりの答えを死ぬまでに見つけていたいものです。
安井
