誰にでも伝わる最大公約数的な表現が嫌いだった。流行りの物、大衆的なものを避け、オタクな方に、サブカルな方に、より過激な方に沈溺していく。それは「これを知っている、理解できるのは自分だけだ」と言いような、思春期にありがちな選民意識で、しかし、自分の中の臆病な自尊心を保つためには必要な物だったのだ。
今はもう、大人になってしまった。あの時のように、作品だけが、物語だけが世界を形作っていた自分にはもう戻れない。
生きるとは不可逆なのだ。体も、精神までも、時間という圧倒的なものに希釈されて、老いていく。
「汚れつちまった悲しみは
なにのぞむねくねがふなく
汚れつちまった悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまった悲しみに
なすところなく日は暮れる」
(中原中也『山羊の歌』より)
今でも作品は好きだ。大衆的な、商業的な物も今では摂取できるようになってしまった。しかし、本当に好きなのは、その中に魂があるもの。自分という木に鑿と槌を叩きつけて、余計なものを削ぎ落とした結果出来たようなもの。それこそが本当の芸術であり、美であるように私は思う。
Life imitates Art far more than Art imitates Life.
(オスカー・ワイルド『The Decay of Lying』より)
安井
