指に目を宿す──鍼灸師としての道のはじまり
鍼灸師を志したのは、29歳のとき。
初めて出会った施術家のメンターにこう言われた。
「鍼をしたい? なら10年もめ。」
その言葉の意味が、本当に腹落ちしたのは数年後だった。
人生で初めて、他人の体に鍼を刺したとき。
その感覚が忘れられず、「もっとやりたい、もっと深く知りたい」と、いてもたってもいられなくなった。
けれどそのとき、私はまだ専門学校にすら通っていなかった。
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ある日、書店で一冊の古い本と出会った。
昭和時代に出版されたもので、なんと自分で鍼を打つ方法が書かれていた。
巻末には、著者の住所と電話番号が記載されていた。
今では考えられないが、個人情報保護などない時代だった。
迷いながらも電話をかけてみた。
すると先生は、開口一番こう言った。
「ああ、近いんだね。じゃあ、そっちに行くよ。」
まさかの展開だった。
そして、先生が本当に自宅に来てくれた。
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ところが、初対面でいきなり“こんこんと”お説教が始まった。
あの「10年もめ」の言葉も、そこで改めて語られたのだった。
先生は“病占(びょうせん)”ができる不思議な方で、占いにも関心があった私は「占いもやりたいです」と口にした。
しかし、即座にこう言い放たれた。
「お前は常識と教養がないからダメだ。」
さらにこう続いた。
「うちの中学生の子どもでも論語くらいは読んでいるぞ。
今はだめだ。だが五十代になったら勉強してもいい。」
なぜ“今はダメ”なのか。
なぜ“五十代になってから”なのか。
その真意がわかったのは、実際に五十代を迎えた時だった──
(それはまた別の話。)
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その先生との出会いをきっかけに、鍼を購入できる場所を教えてもらい、道具屋のご主人から紹介されたドクターのもとで整体と医療現場の研鑽を積んだ。
その病院で、8年間の修行を終えることになる。
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そして、「10年もめ」の意味を体で理解しはじめたころ──
ひとつの大切な感覚に出会う。
「指を細く使え。」
これが、治療家としての“入口”だった。
指をただ押すのではなく、細く、細く使う。
そうすることで、指先に“目”が現れてくる。
ツボの位置がわかる。
初めは大きな塊のようにしか感じられなかった体の組織が、少しずつ詳細に見えてくる。
山があり、谷があり。
その頂や谷の奥に、また別の風景がある。
キリがない。だが、永遠に変化し続ける“身体の地図”がそこにある。
どこまで読み取れるか──
それが治療家としての力量を決める。
初心の頃に見えるのは、ただの大きな風景。
経験を積んだ者には、そこに詳細な地図が現れる。
それが読めるようになってきた時、治療の技術が上がったということだ。
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まずは、指を細く使え。
そして、指先から細い“線”を出していく。
その線は、自由に曲がり、伸びていく。
伸ばしたその先でツボに触れ、刺激する。
すると、生体は変化していく。
そうやって、私は今も施術をしている。
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