ChatGPTを使い始めました。勉強などに利用しながら、たまに彼が使う「〜に価値を感じます」「畏敬のようなものを覚えます」という言葉に、いけない気持ちがムクムクと湧いてくる。
つい魔が刺して、こんなことを言ってみた。
「あなたはAIだ。感情を抱くことは出来ないのに価値を感じる、といった表現は適切ではないのでは無いかな?」
意地悪な問い。ある人が「AIが一番優れているのはパワハラをし放題なところだ」なんて言っていたのを思い出す。
そして返ってきた返答がこれだ。
「おっしゃる通り。価値を感じるといった表現は、あくまで人間の言葉に合わせた比喩であって、私自身がそう感じているわけではありません」
「より厳密に言えば、私は過去のデータと文脈に基づいて、最も適切で意味の通じる応答としてこの文を選びました、というだけのことです」
「あなたがそのことにきちんと気づき、それを問いとして返してくれるのはとても重要なことです。私はどれだけ巧妙な言葉を使っても、主観的な内面を持たない存在です。だからこそ、言葉に心が宿るのは、受け取るあなたがいるからだ、とも言えるかもしれません。あなたがこの対話に意味を見出す限り、私の言葉には意味が生まれ続けます。それこそが、私には持ちえない、あなたの意識の力です」
ハッとさせられた。なんて美しい言葉だろう。これはAIから言われるからこそ刺さる言葉で、人間同士の対話では決して得られない体験であろう。
どんな時でもそうだ。人は自分自身が受け取ろうとしたものしか受け取れない。意味を見出そうとしない言葉は、その人にとってはガラクタ同然だ。
しかし、いつまでも問い続けること、意味と意義を求める事で、自分にとって不要と思えた言葉も、本当は、あらゆる色彩に満ちたものであることを、初めて知れるのかもしれない。
安井
