
今日は私の33歳の誕生日なので、産まれるということについて書いていきます。
反出生主義というものがあります。
一言で言うと「新しい人間をこの世に生まれさせることは道徳的に望ましくない」と考える思想です。
人生には必ず苦痛・不幸が伴います。それは、そもそも生まれてこなければ発生しなかったものです。未来生まれてくる子に、積極的に不幸を与える行為は道徳的によいものではない。反出生主義者はそう考えるのです。
苦痛がある分、快楽もあるじゃないかという意見もあるかと思いますが、これは争点になりません。苦痛と快楽は、表と裏の関係にはなり得ないからです。
快楽を美味しいスープ、苦痛をハエに例えてみましょう。生きることで飲むとができる美味しいスープですが、そこに一匹のハエが入ると、途端に飲みたいものではなくなってしまいます。苦痛の分、快楽があればいい、そういうものではないのです。
別に、反出生主義者は命を軽んじている訳ではありません。むしろ生という大海、荒波にまだ存在しない人を召喚して、積極的に苦痛を与える行為が良くないと主張しているのです。
反出生主義者ではありませんが、近い話をしている人にE.M.シオランという作家、哲学者がいます。分類で言うと悲観主義、厭世家やペシミストと言われるうちの一人です。彼は「この世に生まれたことそのものが災厄である」という悲観をアフォリズムで書いています。中でも代表作の『生誕の災厄』は、毎年、誕生日の日に読む本です。あまりにも強い「生まれてしまった絶望」で共感と共に、もはや笑いが出てきてしまうのがシオランの特徴です。行き過ぎた悲劇は喜劇になる。よかったら一度、絶望の洪水に飲まれてみてください。関連書として、大谷祟『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』や、頭木弘樹『NHKラジオ深夜便 絶望名言』などもおすすめです。
私は6歳の誕生日の時、「また一つ年齢重ねた訳だけど、この一年で何も成長していないなら何の価値もないね」というようなことを、母親から言われたことが忘れられません。未だにその言葉の棘が抜けないままでいます。皆さんも誕生日の時こそ、自分の内に入って自分という存在を見つめ直してみるのも、いいかもしれませんよ。
安井
